天皇は吉備へ - 私の町吉備津

 兄媛が吉備に帰ってしまい応神天皇は、その寂しさに、毎日を悶々と毎日をお過ごしになられておりました。

    「恋し兄媛よ!!!}

 と、その「あいたさ見たさにこわさを忘れ暗い夜道をただ一人」ではないのですが、どうにかして吉備への御幸はとお考えになられておりました。直接、「吉備へ・・・」とは流石に言えなかったのでしょうか、一応、まず、これまでの天皇が、しばしば、幸しておられる慣例になっておられる「淡路島」に行き、それから愛しい兄媛のいる「吉備へ」とお考えになられます。もとより、「吉備国」は、応神天皇の祖母である「播磨稲目大郎女<ハリマノ イナメ オオイラツメ>」の出所ですから、直接、尋ねても、別に,構まいはしないのですが、人の噂を気にしたのでしょうか、そのような間接的な吉備への御幸絵お計画されます。その正確な日までも「日本書紀」には記されております。

 兄媛が吉備に帰ったのは四月ですが、その「九月六日」には淡路島に到着され狩りされれ、その翌日でしょうか、小豆島にも立ち寄られたりして、5日後の「九月十日」には吉備にやってきております。

 そこが

             “葉田葦守宮